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お久しぶりですが [生物・自然とか]

今までの記事を見ると何か書く気になりません。

そう言えばなんですが、生オリ、残念ながら代表補欠(次点)でした。

そして、代表になるためだけに勉強していたので、今後代表合宿等に行く必要性を感じず補欠を辞退しました。

代表になった人は頑張ってください。

こんなことってあるんですね。

ちなみに、こういう失敗は潔く自分の実力不足だと断言するのがカッコイイですが、今回の件に関してはどうしてもそう書く気になれなかったので以下未練タラタラの内容が続くことを予め言っておきます。

 

どうしても言いたいことというか、まあ敗因としては

・始める時期が遅すぎた(2月からだった)

これだけだと思います。本番は最大限の力を発揮できたはずです。

去年の試験終了直後には、来年こそ9月くらいから始めると思っていましたし、実際8月の本選で代表候補に決まった時にはもうすぐスタートするつもりでした。

なぜこんな時期から始めたのか。

 

■まず1つは、余裕視していたこと。

「高2なんだからどうにかなるだろう」「自分ならぶっちゃけ普通に通るに決まってる」さらに、高1の時にキャンベルを0.9周くらいしたので、その分余裕があると鷹をくくっていたのは否めません。

実際にはそこまで覚えておらず(まあ1年間触っていないのだから当たり前ですが)、その上途中から新版を読んだために余計に去年の知識が蘇りませんでした。

 

■もう1つは、とても忙しかったこと。

8月の生オリ直後には校内模試があり、その勉強をするためにキャンベルのことなど忘れる必要がありました。さらに、2学期には部活引退も含めた生物部最後の文化祭。

部長として、この文化祭には全力投球したかったですし、実際しました。

さらに、文化祭が終わると今度は台湾での研究発表会に向けた実験を行い、それを英語でまとめて発表原稿・スライドを作成しました。これは予想外に大変で、正直寝る暇も惜しんでやっていました。

そして台湾から帰ってきてすぐ最後の校内模試があり、これは生オリの合宿を途中参加して受験するものだったので、悲惨な結果では目も当てられません。

実は、この校内模試、あと1点?でAクラスというとても悔しい結果に終わったのですが、この結果が帰ってきたのは1月くらいのこと。

同じクラスの筑駒生は皆Aで、死ぬほど悔しかったのを覚えています。

 

この1月、他に何があったのかというと

・数学の講習に行ってみたら激ムズだった→数学をもっとやらねば!

・化学の塾に行き始める →化学まで取りこぼしたらもう無理!

・特考で死ぬ →なんでみんなとこんなに差が開いているの?

・テストで落ちる →話にならない・・・

ということで、正直生オリの勉強なんかする暇あったら他教科やるべきだ、と強く思っていてキャンベルについては読む気はあまりありませんでした。

 

■最後に、プレッシャーに負けて逃げていたこと。

ここまで行事が大変だのなんだのと書いてきましたが、この中で生オリについて忘れることはなく、

「生オリの勉強っていつするの・・・?」「去年は1月からやったら間に合わなかったよね」「皆もう何周もしてるよな?」

と常に自問自答していました。

1月に入ったら内心焦っていたのも事実で、日々の生活の中で「本当にやらなくて良いのか」と思う回数が増えていきました。

そして、実際に始めたのは2月の頭。1月の終わりだったかも。

 

なぜ、自分が生オリを受けようとしたのかはよく覚えていませんが、おそらく国際大会に出場する先輩方の姿を見てか、受けるものだという何か義務感に近いものを感じて受けたのだと思います。

この中で生物部の歴代部長というのは、生オリの国際大会に出場する方が多く、部長の1人として僕も国際大会に”出場しなくてはならない”という事を思うことがありました。

この事はとてつもないプレッシャーとなり僕に重くのしかかってきて、時に理不尽でないかと自意識過剰な状態になることも。

このような僕に対して生オリとはあくまでいい機会を得るためのものであるから、それは「有効活用」しなさい、といって下さる方もいましたが、

そうであってもやはりテストはテストであって、勝ち:代表 負け:その他 という、明確に分ける篩であることに変わりはないのです。本選についても同様です。少なくとも僕はそう考えています。

そしてこのようなプレッシャーによって僕は、現実逃避するという選択をしてしまったのです。

これが一番の誤りでした。自分に甘かった。

このことは去年と異なるところで、去年は「1月からでも間に合う」と思ったことが主な誤りですが、今年は「現実逃避する」ということが最大の誤りでした。

その結果、勉強を始める時期がとても遅くなってしまった。

この現実逃避をした跡がこのブログを含めいくつかのSNS他に残っていてとても恥ずかしいのですが、今後の教訓として消さないでおきます。

 

こうして、実際他教科の状況に危機感を抱いていましたが、それを盾に他教科に「目を向け」なくては、という思いを助長させるようになってしまったのです(実際校内模試は悔しかったので、時期が重なったという点で運も悪かったのでしょう)。

その結果、2月からの勉強スタートということになってしまいました。

なぜこの時期に始めたのかはよく分かりませんが、「そろそろマズいのではないか」という思いが、「受験勉強をやらねば」という思いを超えて、そして周りからもやるよう促されたからだと思います。

この時期からのスタートというのは精神的に非常にキツくて、1周するのに「1日1章」という相当つらい試練を毎日課すことになるわけです。

ぶっちゃけ、無理でした。結局、42~3章を読んで、終わりました。

前日までに読み終えた章の次の章から大問で出題されたのですが、この点に関しては正直何も感じません。

試験前日には、今年も1周できずに終わったか、という思いがほんのすこしだけあったのですが、もうそれどころではありませんでしたね。

8月には、「まさか今年も1周出来なかったりしてw」などと思っていましたが、本当にその通りになるとは。

 

*********

 

試験当日のことはよく覚えていませんが、去年同様武道館で柔道のインターハイが開かれていて、すごく体格の良い人たちの中を試験場まで向かっていったのが印象的でした。

さて、試験自体についてですが、

・記述式 ・・・ 読んでいないところは正直憶測で書くしかなかったけど、大幅に外しているところはないと思います。

ただ、周りの話を聞いている限り代表とそうでない人で明らかに差がついたと思われる大問があって、それを落としてしまいました。これがかなりショックでした。

・記号式 ・・・ 直前に国際の過去問を解いたところ、銅~銀の人たちと同じくらいの点数をとっていたので、こちらは自信がありました。実際それなりによく出来ていたはずです。

 

「生オリの代表選抜試験」というと前者の方のイメージが強いのですが、実際点数がどう割り当てられているのかはわかりません。

終わったあとは、とりあえず秋葉原にでも行ってみるかと思って秋葉原に行き、適当に店舗をまわって帰って来ました。

その夜、代表次点という電話がかかってくると。

次点だと聞いた時、心の底からこうなることは分かりきっていた、と思いました。努力をしないとこういうことになる、と。

終わった後のことはよく覚えているんですね。

まあ、直前は夜よく分からずに泣いていたり、変な感覚に襲われたりとストレスで酷いことになっていましたから、あまり記憶がないのも当たり前の事かもしれません。

悔しさとか、無力感とか、死にたいとか、その他このようなテストで失敗した後に経験するような想いはあまりありませんでした(少し時間が経ってから、自分に対する腹立たしさというか、そういうものは少しあったけど)。

とはいえ、常識的に考えれば当然いくらか感じているに違いありません。おそらくここまでに書いた記事の中にも悔しさは滲み出ているはずです。

落ちてしばらくは本当に、「...やはり、こうなるんだな」と思うばかりでした。

 

そして、この生オリが終わったあとはすぐに科学の甲子園全国大会があったのですが、このことについてはまた今度書くかもしれませんし、書かないかもしれません。

僕は筑駒チームのリーダーとして参加し、結果は3位だったのでその事は良かったのですが、甲子園の間ずっと、「なぜ代表になれなかったのか」について考えていました。

このイベント自体は他校とも生オリなどとはまた違った側面から交流できたり、チームで問題を解くという他にない経験ができるということで、素晴らしいとは思いますが、

どうしても「生物をしにイベントに来ている」ということが、生オリとどうしても重なってしまい、純粋に楽しむことが出来ませんでした。

部屋で周りを眺めていても、はたまた「京」の見学をしに行っても、何をしても、生オリのためにした、または生オリで行った、何かのイベントと重なってしまう。

どう表現すればいいんだろう。

 

科学の甲子園が終わったら今度は講習やらが入って、高3になって、クラス替えがあって、数学も塾に行き始めて、音楽祭練習が始まって、今に至ります。

 

なんか、書いてたら泣きたくなってきた。一昨年の広島での散策とか、去年の8月のつくばからの帰りとか思い出して。

中1から、ずっと代表になりたいと思ってきたのに。どうしてこんなにあっさり目を反らしてしまったんだろう。

今、生オリに参加することは僕にとって結果を残すためだと考えていますが、それでも生オリに参加して得た知り合いといるのはとても楽しく、また生オリ自体強い帰属意識を感じることが出来る場でもあります。

中学生の時から生物の実験イベントに参加するとか、サイエンスキャンプに参加するなどといった、生オリ以外のイベントに参加するでも、決して無駄ではありませんでした。新たな発見の連続でした。それは机でキャンベルを読んでいても同じです。

なのに、この代表落ちでこれらの記憶が全て黒歴史化してしまうとは。

何か考え方がおかしいのかもしれない。

でもまあ、高校の生活を2年間、充実したものにさせてくれたのは生オリを含めた生物という学問を通した活動であって、何も負い目を感じる必要はないと思います。

 

具体的に何やったんだっけ。

・科学未来館での、もしくは同館主催の実験講座。とても刺激的だったし勉強になった。本格的な実験はこれが初めてだった。計10回くらい参加。

・大学での実験講座。

・台湾での研究発表会。

・生物部としての活動。日々の実験、合宿、またアシスタントとしての校外での活動。

・2度のサイエンスキャンプ。

・そして、生オリ。

まあこれ以外にも大量にあるかもだけど、今パッと思いついたのがこのくらい。

いい経験させてもらいました。これなかったら、どうなってたんだろうなあ。

 

なんか自分に対して言いかける記事になっちゃったな。

生オリが終わってから、あまり生物との関わりについて深く考えて来ないまま頭の中で渦を巻き続けてきたので、結構スッキリしました。

今までに言ったことと矛盾しているところがあるかもしれないけど、今思っていることを書いてみました。

あと、一応これを見ている、今後生オリを受ける後輩たちのために僕が言えることとして、

・予選は教科書・資料集レベルの基本事項さえ抑えればどうにかなる(最近の思考系に対処できないなら、キャンベルを読むしかない)

・本選は知識である程度ごまかして、あとは練習

・代表選考は、完全にキャンベルを暗記。余程の知識または思考力がない限り、こうしないと・・・

くらい。まあ説得力ないだろうけど、一応参考になることがあればと思って。

さて、そろそろ前を向いて受験勉強を頑張らなくてはなりません。

この生オリでの大失敗をどう活かせるかは分かりませんが、常に自分の状況を客観的に判断するよう心がけます。

 

最後に、

今まで生オリ等生物関係でお世話になった方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。


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